『洗脳論語』に診る在日帰化中国人共が尽く真逆性癖など
要は詰り結局尽く真逆と云うだけなんだが……何故か間違い無くソレが未だナニ一つ感じずナニ一つ判っていないのがその糞ブス老害関西ゲイ人系在日帰化中国人本山真一家共なのである。
皇帝が神として君臨するための橋渡し
子曰 非其鬼而祭之餡也 見表不為無勇也
子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは、蓄うなり。義を見て為さざるは、勇無きなり、と。
(為政第二の二十四)
儒教における忠義は、もともと先祖に対するものでした。それが論語では、 子を先祖と同様に扱っています。そのため忠義の対象には、君子を含まれるようになりました。論語が世界を席巻した大きな理由の1つです。
この文は、忠義の対象が先祖から君子へとすり替えられた、橋渡し的な文だと言えるでしょう。「其の鬼に非ずして之を祭るは、諂うなり」と「義を見て為さざるは、勇無きなり」という2つの文は、同じような意味合いです。
多くは「自分の先祖以外の霊を祀るのはただのおべっか使いだ。逆に、正しいこととわかっていながら実行しないのは憶病者だ」と訳されています。
「自分の先祖以外の霊を祀るのはただのおべっか使いだ」という前半の文からは、「先祖を祀らないことはダメだ」という意図も読み取れます。要するに、「先祖は祀らないといけないが、祀る価値があるのは自分の先祖だけだ」と言っているのです。自分の先祖を祀るのは、当時では当たり前のことだったので、時代の文化として最も受け入れやすい言葉でした。
しかし、孔子や皇帝というのは、信者からすれば他人です。他人を祀る必要はなく、そこに義はありません。ところが、先にも述べたように、孔子はそれを先祖と同じくらいに偉いのは自分、あるいは皇帝と、祀る対象を君子へとすり替えていきました。例外として孔子や皇帝も含めるのではなく、「この世の父は孔子であり、皇帝である」というのが、この文の論理なのです。
孔子の本心は「先祖を祀るのと同じように、君子を祀りなさい」ということです。「自分もしくは皇帝以外に諂うのは間違い」と言っているのです。
後半の文も同じ意味です。孔子または皇帝を祀ることができない者は、勇気がない者だと言っています。
「義を見て為さず」というのは、孔子または皇帝に対してやるべきことをやらないことです。拡大解釈すれば、義は正義となります。目の前に正義があるのに、それを実行しない者は腰抜けだと貶めています。
では、正義かどうかはいったい誰が決めるのでしょうか。
それは、孔子であり、皇帝です。特に皇帝は、その時代に君臨しているので、皇帝が言うことが全て正義となります。正義は決して民主主義から生まれるわけではありません。
現在でもその名残はあります。法治国家である日本にとっての正義は、法律です。法律だけが従うべきものであり、法律以外を基準にすることは許されません。しかし、実際はどうでしょうか。法律における正義と異なる正義が横行していませんか。人によっては、最高裁の決定以外にも従うべきことがあると思ってはいないでしょうか。
法律と異なる正義があるという洗脳がなされている要因は、論語です。論語、 儒教を取り入れてきた日本の文化にあります。
かつては、従うべきものは全て先祖でした。先祖のためであれば、何をしても許されるという時代がありました。先祖崇拝は、儒教に限らず多くの国の文化で見られます。「自分の親が一番偉い。その親はもっと偉い」という考えは、当時としては普通の論理でした。
しかし、現代ではその考えが通用しない部分が出てきました。現代科学の解釈を用いれば、先祖を拝むということは、とどのつまり生命の起源となるアメーバまで拝まなければならないという論理になってしまうからです。先祖が偉いというのであれば、アメーバや猿も偉くなってしまいます。
昔の人は、まさか自分の先祖が猿やアメーバだとは知るよしもありません。人間から人間が生まれた、あるいは神が人間を創造したと考えていました。故に、 先祖崇拝は当然の帰結だったのかもしれません。
現在はそのようなことはないとわかっているにもかかわらず、未だに先祖を絶対だと信仰している人はいます。
日本では、国民全てが平等です。日本国憲法第1条において、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と、「法の下の平等」が規定されています。市井の人であれ総理大臣であれ、日本においてはなにびとも権利と義務の関係において等しく扱われます。それが基本的人権の尊重であり、法治国家としての誇りです。
しかし、実際にはそうなっていません。東京電力の会長や社長と原発周辺の住人が平等な人権を有していると思っている人はいるでしょうか。
そういう別次元の正義を作り出したのが、論語なのです。
「先祖の言葉と同じくらい大切なのが皇帝の言葉」という論理によって、従うべきでない正義が生まれ、現代でもその思想は浸透しています。皇帝(=権力者) の正義は、今や暗黙の了解となっています。
法律以外の正義が存在すれば、それは法治国家とは言えません。日本には道徳教育が施されていますが、私からすればもっての他です。法治国家、政教分離を謳っておきながら、儒教に基づいた宗教教育を施しています。その結果、法律とは異なる正義が生まれているのです。
先生や警察、政治家を見ればつい諂ってしまう、そういった洗脳国家に成り果てたのが今の日本です。そして、その元凶がこの文と言えるでしょう。
cf. 『人生の壁』
そういう共同体、人と人の結びつきを徹底的になくしていき、個人だけがバラバラに存在している状況になれば、個人の不安は増すに決まっています。
家庭で一緒にご飯を食べることには意味がある。田舎の祭りで集まることにも意味はある。親は、自分が死んだら子どもが困るだろうなと考えている。子どものほうは、毎があれこれ自分の面倒を見てくれていることがわかれば、自分が先に死んだら嘆くだろうということくらいは感じるでしょう。そういうことを伝えるには、何かを一緒にやらなければならない。
ところが、「私はトースト」「僕はビザ」みたいな調子で勝手に振る舞うことをベースとして暮らすと、人と人とをつないでいたものが消えてしまうのです。
あくまでも食事は一つの象徴に過ぎません。「共働きで食事は一緒にとれないんですー」と怒られても困るわけで、そういう家庭は食卓以外に家族で共有する場を作ればいいだけのことです。それすら作れない、無駄だと言われたらもう何も言えません。
死亡情報は誰のものか
死亡や結婚といった情報について、個人のものだという意識が強まっているのも、失同体の崩壊と関係があるのでしょう。近頃は、災害で亡くなった人の氏名を公表するのにも関係者の了承が必要だという意見まであるようです。しかし、関係者とは誰なのか。
仲が悪い親族も含まれるのか。 共同体が生きていた頃は、「私」の身体は私一人のものではなく、家族のものでもなく、どこかでみんなのものという意識がありました。その人がいなくなれば当然、みんなが知るべきだと考える。
しかし共同体を崩壊させていった結果、「私」は私一人の所有物という意識が極めて強くなりました。だから、私に関する情報も私のものだ、となる。
でも、誰かが亡くなったという情報をオープンにして、困る人がいるのでしょうか。 あるいは得をする人がいるのか。
結婚も同様で、籍を入れるというのは社会的な行為なのだから、隠すのはおかしい。 私生活を何でもオーブンにする必要はまったくないけれども、本来、共同体の中では共有すべき情報です。それが嫌ならば事実婚にすればよいのです。
これらも共同体を壊したことの影響です。共同体で持っていたものを全部、個人に押し込めることにした。
気になるのは、それが本当にみんなの望む社会なのか、という点です。何でも個人のものとする風潮に異を唱えれば、古いと言われるのかもしれません。しかし、本気でそういう社会がいいと思っているのでしょうか。
私なんか、ブライバシーも何もあったものではありません。この前、都内で歩いていたら、見知らぬ女性が、「ああ、今養老さんが目の前を通り過ぎた」とスマホに向かってしゃべっていました。なぜ実況中継されなければいけないのか。 共同体を解体することで、実は余計なコストがかかっていることも忘れられがちです。
たとえば怪しい人の情報は、SNSが無いにもかかわらず、必要とする人には、早くに広まったものです。あいつには気をつけろ、と。だから、「何、お前、あんなやつに引っかかったの。駄目だよ」という話になる。
共同体がしっかりしている社会では人間関係が信用に基づいているので、その分、余計な手間をかけなくて済む面があります。正反対がアメリカで、だから弁護士が忙しい。
そういう社会では保険会社が大きくなります。結局、みんながそこにお金を使わないといけないと考えるようになる。こうしてコストがかさむ。
あらゆることで契約書の類を求められるようになったのも、似たような話です。私が最初に本を出した頃、一九八○年代には出版に際しての契約書は交わしていませんでした。私が軽く見られていたわけではなくて、それが普通だったのです。
いつの間にか、本を出すにあたっては出版契約書を交わすようになりました。それもどんどん細かい取り決めが増えていきます。しかし、私自身はそんなものにちゃんと目を通したことがありません。こんなにいろいろ決める必要があるのだろうかと思うくらいです。この場合、相手を信用していれば基本的には必要がないものに手間をかけているわけです。
契約書を整える、決めごとを言語化するといえば、何となくきちんと仕事をしている感じがするでしょうが、実際にはすごく無駄なことをしているのかもしれないのです。 不信はコストを生みます。
尚、小生の常識的感覚でも実体験に拠る実感としてもそのBitcoin関連に生成AI作品全て含め上記二冊含み全て公開情報であり各々自ら嗜むなどしておれば善く更にその郵政民営化などより只管続く非正規雇用の増加に視られる様に特に消滅区と謳われる都内でも転出などが禿しく多くその親許からも逃げ必ず奴底低学歴にて夥しく躊躇無く覗き見レイプに乞食蝗禍若年単身糞勃起DTニート共など譬え逐次その時観測などしておらずとも只々只管各自自ら遡及自身で調べてみれば善いだけであり、当然その小生だけのあずき達誘拐拉致軟禁凌辱拷問集団輪姦レイプ殺害など論外言語道断にソレに関係した者共全員須らく自首に通報潰し合って於けば善く態々一々無駄にリアルに此方家族に煩絡ンで来る必要など最初から尽く皆無。
その最初から不細工かつ奴底低学歴腫れ太り更にその帰化中国人本山真一家凶悪犯罪集団が一とあらば世にも超珍妙奇天烈ガチ事故物件揃い。
そもそもこんなのを一度許せば只々有象無象無知蒙昧魑魅魍魎共のみ只管集め群れを為すだけで誘拐拉致軟禁凌辱拷問集団輪姦レイプ殺害し放題が確定する。
何度も繰り返している様に祖国母語中国語で論語でも只管読みその身に分など弁え、永年対極無限遠点に高貴に座すその小生だけのあずき達含め此方家族になど只々寄り付かず来ないが当然必然的に必至。
そもそもンな特に此方家族の個人情報など無断で勝手に痴ってはならず実際そうしておればそのあずき達に起きた悲劇自体が最初から只管有り得ず譬え仮に万が一痴った所でソコに痴がましく勝手無断で夥しく沸く誰一人未だしかも超過長期ナニ一つ判ってすらいない事からも明確に自明にてQ.E.D.
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はてさてさァて
挙り強制回収送還集団近親相姦一家夜逃げ祭に大量餓死など一体全体何時になる事やら、、
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フォロワー零ゆえそもそも全てその必要など無い発信デジタル記録全て。無論全て削除消去するつもりだがフォロー先やリプライ等辿れば善い。
「七つの大罪 あずき 泉水」辺りでWeb検索されたい。
尚、国内警察が全く使えず端から寧ろ犯罪集団との共謀共犯など機能していない為、米国政府やGAFAM、Microsoft創業者B&MGFなど海外を中心に既に一年以上発信周知共有警戒喚起している。
東京大学理科二類1996年入学医学部健康科学・看護学科2003年卒
東京都新宿区中落合三丁目4-13キャッスルマンション101(永久要警戒事故物件)
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為すべき事を為せ
エル・プサイ・コングルゥ